友人が数学者で30歳にして旧帝大の教員。彼との出会いは小学校1年のころだった。
友人が数学者をやっている。30歳にして旧帝大の教員。たぶん、いや間違いなく凄いことだろう。昨日、彼の結婚式に出席した。乾杯挨拶が東大数学科教授。「彼は博士課程の時、部分的にさえ明らかになっていなかった分野の未解決問題を解きました。世界が驚きました。」衝撃的な乾杯挨拶だった。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
僕と彼との出会いは、小学校1年。「帰りの会」というSHRみたいな時間。先生にお願いして、僕と彼ともう一人で、「金曜劇場」と銘打ったコントみたいなものを毎週披露していた。アホな小学生だったが、楽しかった。「転校してもらう」と父に言われたのは、三年生のときだった。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
彼と離れて6年間、携帯も持てなかった頃。もう会うことはないだろうと思っていたが、中3の12月、受験のために土壇場で駆け込んだ塾の教室に、彼がいた。あまりに久方ぶりかつ唐突だったためか、彼は僕に気づかないふりをした。金曜劇場の頃とのあまりの雰囲気の変化に、僕は彼だと確信が持てなかった。
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親友だった互いを認識しつつも声をかけない奇妙な2か月。地域の公立中のトップ級を自負する中坊が集まるこの塾の教室では、問題を解いた後に講師の解説を聞くのだが、自分の解が正解だった場合、これ見よがしに「シャカッ!」を音を立てて丸をつけたものだ。我こそはぁ!という響きが教室にこだました
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
シャカ!は、数学なら大問の序盤では正解者が多くシャカシャカシャカ〜!と威勢がいいのだが、後半になるにつれまばらになる。そして、誰も解けないと思われるような難問のとき。講師が解を発表し、はぁ…こんなん無理だぁ…のため息がひと通りしたその後で、ひとりシャカー!と鳴らす男がいた。彼だ。
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本塁打を放った打者がダイヤモンドをゆっくり一周するように、あのシャカッー!は教室空間をその一瞬、彼のものにした。イキリたい盛りの中学生達は、ざわつくこともできずに視線を彼の方にやる。彼は恥ずかしそうに顔を机に伏せた。あれだけのシャカッ!を放っておきながら、あまりにかわいい仕草だ笑
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そうなるとは知らなかったのだが、高校に入学すると、また彼がいた。今度は話しかけた。なぜ塾で話しかけなかったのか。「別に…。恥ずかしいじゃん。」だいぶシャイなキャラになったなと思ったが、まあ、俺だって話しかけられなかった。高校での彼は、数学ばかりしていた。いつ見ても、数学をしていた
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今思えばあの頃、もはや彼は別次元に到達しようとしていた。僕は受験のために数学をしたが、彼は数学のために数学をしていた。1年の夏には勝手に進めて数Ⅲをしていたし、それ以後は明らかにチャートではないなんかゴツい本を持っていた気がする。でもバカな話を振ると、僕の知ってる可愛い彼だった。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
18歳の2月25日。僕らは東大駒場にいた。数学は初日。文系の僕は2完半の出来にそこそこの手応えを感じつつ、ホテルに戻った。携帯を開く。SNSに主流がなかった頃。モバゲーが僕らのそれだった。彼の日記が更新されている。題名は「答え合わせしましょう」理系数学の解が「値」で6つ並んでいた。6完だ。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
ケータイの画面を見て、動悸を抑えられなかった。あの時、彼が、どこか遠くに行く気がした。今回の本塁打は、あの時の塾のシャカー!とは違う。僕に打てない決定打。実際、僕は落ちた。構造から中途半端に競争的価値観を植え込まれたルサンチマンに満ちた18歳の僕は、しばらく彼を直視できなかった。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
あれから十余年。たまに会うと、いつでも数学のことを考えているらしかった。もはやそうでないと解けないような問いを相手にしているのだろう。でも、あの頃と同じようにバカ話をすると、いつも可愛く笑ってくれた。笑ってくれる時、彼の思考領域に僕の居場所はまだあるんだという気がして、安心した。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
いったい、人類が到達したことのない思考領域にひとり足を踏み入れるというのは、どんな感覚なんだろう。純粋に知りたい。かっこいい。ルサンチマンは、もうない。彼の頭にある宇宙を理解できるのは、もはや世界で一握りしかいない。でも、彼は一緒に「金曜劇場」をやっていた、そのままの彼でもある。
— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022
もっともっと、進んでほしい。もう追いかけることもできないけれど。僕は会ったら必ず聞くことにしてるだろう?
「何がわかったん?」
君に何が見えたのか、何を見ようとしているのか、わからないだろうけど一応、教えてみてほしい。そして、たまにでいいから、こっちみて笑ってほしい。君は友達だ。— 佐伯 佳祐 (@noeasywalk) November 28, 2022