【文豪】三島由紀夫「読者を感動させることは全く重要じゃない」
三島由紀夫は「小説は”読者をどこかへ連れていくこと”が一番重要なんだ。”どこかへ連れていく”に比べたら”読者を感動させること”は全く重要じゃない」みたいなことを言ってて。俺も映画(館)に求めるのはコレなんだよね。ツマンなくてもいいから、俺を完璧な異世界へ連れてってくれよ…みたいな。
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022
で、三島は「感動というのは現在の一瞬間に感じる雷のようなもの(必要ない)」とも言うんだけど、ここで「感動=現在」という指摘が出てくるのが面白いんだよね。みんな「感動」をいいものと思うけど、実は「感動」は客を「異世界」から「現在=現実」に引き戻すもので、寧ろ「邪魔」なんじゃないか…
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022
つまり「感動」したければ、この世界でもできるじゃないか。高校野球の決勝でも見ればいい。いや、低俗な芸術でも「感動」は出来るよ。人間なんて大したもんじゃないからな。模倣品でも、盗作でも感動は出来るんだ。でも「客をどこかへ連れていく=連れていくべき異世界を作る」は芸術しかできんのだよ
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022
「じゃあ、その異世界ってなんだよ?」と言われればね、やっぱ「死の世界」と思うんだ。つまり、小説家は探検家なんだ。生きてる奴より先に死の世界を冒険して、その冒険談をまとめたのが「小説」なんだ。そして読者は一時的に「死の世界」に入ることで、この「生の世界」を相対化できる…みたいなね。
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022
だから時々「死の国」から戻ってこれなくなって、そのまま死んじゃない文学者がいるんだ。
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022
まぁ、小説は兎も角。
先日『ゴッドファーザー』4K版を映画館で見たよ。俺はアレ、実に退屈な映画だと思うんだな。大して面白い映画じゃないんだ。でも最後まで見るとまた最初から見たくなる。あの感じを味わいたくなる。やっぱりそれはあの作品自体が一つの「異世界」だったからだと思うよ。
— どうそく (@madanaizo) April 6, 2022