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コロナ騒動でも倒閣運動が起きない日本に韓国マスコミが逆ギレ 日本市民はなぜ黙っているのか?

   


1:ハニィみるく(17歳) ★:2020/05/06(水) 11:23:59.13 ID:CAP_USER

|神田外国語大学 キム・ギョンファ准教授

(イメージ)
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▲ コロナウイルスに対する日本政府の誤った対応が相次いでいるが、伝統的に『和』を重視する日本社会では、無能な政府を強く非難する集団行動は現れていない。
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■ 日本市民はなぜ黙っているのか?

コロナウイルスの事態に対する日本政府の空回りが相次ぎ、韓国の知人から「日本市民はなぜこのような状況に黙っているのか」という質問を頻繁に受ける。市民の力で暴走する権力を懲らしめた経験が生々しい韓国社会ならではの疑問である。

新種の伝染病との戦いが始まってから季節は変わったものの、日本政府は相変わらず診断検査を増やせば医療崩壊を招くという消耗的な論争を引きずっている。『緊急事態宣言』を出したが市民に外出の自主規制を要請するだけで、これと言った防疫対策はなく不安は膨らむばかりである。国家元首がのんびりと愛玩犬と遊ぶ映像をSNSに投稿して公憤を買ったり、莫大な国家予算を使って支給した布マスクは不良品が続出した。さらにこのマスクの供給先は、政界との癒着が疑われる正体不明の幽霊会社らしい。

ここまでくれば市民の忍耐力も限界のはずなのに、市民が政府を非難する声はあまり聞こえない。日本市民は自らの生命と健康がどうなっても構わないのだろうか?日本市民はなぜ無能で傲慢な権力を黙認するのだろうか?

■ 歴史から消えた『デモの時代』

韓国では政治問題だけでなく性差別や職場のいじめなど、様々な社会問題に対する集団行動が後を絶たない。光化門(クァンファムン)広場はいつも騒々しくて混乱しているが、おかげで社会的な課題が公論化され、解決策を模索する動きも活発である。

対照的に、日本では市民の大規模な集団行動は見当たらない。『嫌韓デモ』のような人種差別的な集団行動は頻繁にあるが、このような動きは漠然とした排他的主義と、嫌悪の感情を表現する政治的なイベントに近い。特定の社会問題について解決を要求する市民運動と同等にするには無理がある。

過去の日本にも、今の韓国に劣らない市民社会の声が大きくて力強かった時代があった。例えば1960年代にベトナム戦争が起きた途端、日本市民が連帯して大規模な反転デモを継続的に実行したことが知られている。全国300余りの団体が連帯した『ベトナムに平和を!市民連合(略称=ベ平連)』が主導したデモには、数百万人のデモ隊が自発的に参加した。『ベ平連』は日本政府に戦争に協調してはならないと明確に要求しただけでなく、アメリカ政府にも戦争に反対するという意見を堂々と伝達した。1965年11月、アメリカの新聞『ニューヨークタイムズ』の1面には、日本市民の力を集めた『ベ平連』の名義で、『爆弾はベトナムに平和をもたらさない』という豪快なキャッチフレーズの全面広告が掲載された。無気力な現在とは全く異なる、『デモの時代』が日本にもあった。

しかし、このような事例は単なる半世紀前の歴史に過ぎない。急速な経済成長と社会的変化の中で、政治に対する関心が薄くなった。学生運動の主役が政界に大挙進出した韓国とは異なり、日本で市民運動を率いたリーダーは影をひそめた。『デモの時代』に対する記憶の端には、急進左派学生の過激な武装闘争(別名=全共闘)に対する否定的なイメージも残っている。

(写真)
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▲ 2017年に日本の国立歴史民俗博物館で開催された『1968年展』は、日本社会の歴史から消えた『デモの時代』を取り上げた展示会だった。(写真=キム・ギョンファ)

ソース:韓国日報(韓国語)
https://www.hankookilbo.com/News/Read/202005040923757177?did=NA&dtype=&dtypecode=&prnewsid=

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