半島南部の前方後円墳に韓国人学者がトンデモすぎる主張を展開 日本側からツッコミ殺到
百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群(大阪府)の世界文化遺産登録を受けて、構成資産の仁徳天皇陵古墳=大山(だいせん)古墳、堺市=をはじめ、規模の大きな墳墓に特徴的な「前方後円」の墳形が改めて注目されている。前方後円墳は、日本だけではなく、韓国南西部でも確認されている。韓国で研究の最前線を取材した。(大阪本社編集委員 関口和哉)
交易を担った倭人か、大和政権に敗れた九州人か…被葬者で諸説
商店やマンションに囲まれた市街地の一角。韓国南西部の光州にある2基の前方後円墳、月桂洞1号墳、2号墳を訪れた。この古墳からは円筒埴輪(はにわ)約100基が出土。周辺の栄山江流域では14基の前方後円墳が確認されている。
反日感情が根強い韓国では、日本との関連がテーマになる前方後円墳に関心を寄せる研究者は長年、限られていたという。1980年代後半に、ようやく注目され始めた。
栄山江流域の古墳は一時、「日本の前方後円墳のルーツではないか」との説も浮上したが、築造時期はいずれも5世紀後半~6世紀前半。日本で前方後円墳の築造が始まった3世紀より後であることが判明してからは、関心は築造理由や被葬者に移った。
月桂洞1、2号墳から東へ車で約20分。出土品などを展示している全南大博物館に林永珍(イム・ヨンジン)館長を訪ねた。林館長は93~97年の発掘調査を担当。月桂洞古墳の築造時期、周辺は「馬韓(ばかん)」と呼ばれ、百済と倭(わ)(日本)が支配を競った。
被葬者については、▽倭の影響を受けた百済人▽倭と結びついた馬韓人▽百済に仕えた倭人――など諸説あるが、林館長は「被葬者は磐井の乱(527年)で大和政権に敗れ、国外脱出した北部九州の倭人」と主張する。
近年、石室や副葬品の調査が進み、より詳しい実態がわかってきた。洪●植(ホン・ボシク)・公州大副教授は「墳形や石室には日本の影響がうかがえる。一方、土器は朝鮮半島の特徴を持つ。武人的要素が少ない副葬品から被葬者は交易を担った倭人ではないか」と説く(●は「さんずい」に「普」)。
「前方後円」以外でも…倭系の特徴
「前方後円」以外の墳形も重視されるようになった。その一つ、咸平(ハムピョン)の金山里方台形古墳からは、鳥や人物などの形象埴輪が韓国で初めて出土し、石が敷かれた墳丘にも「倭系」の特徴が表れている。李■起(リ・ブンキ)・全南文化財研究所長は「将来は石室の発掘も目指している。被葬者像や日本との関係を解き明かしてくれるはず」と期待を寄せた(■は「金」の右に「凡」)。
井上主税(ちから)・関西大准教授は「日韓の研究者が協力して比較、検討することで、日韓の歴史に新たな光を当てられるだろう」と話している。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-yom-sctch
↓画像
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20191205-00010000-yom-sctch.view-000
12/5(木) 12:11配信 記事元 讀賣新聞