「警察の出頭命令を無視したら逮捕された。人権を奪われた」とサヨク識者が激怒 恩赦に逆恨みしている
「即位礼正殿の儀」に合わせて実施された恩赦の対象者は、全国に約55万人いるという。作家の北原みのりさんもその一人だ。自身の体験をAERA 2019年12月2日号に寄稿した。
スマホで新聞を読んでいたら天皇即位の礼に伴い、「政令恩赦」が実施されるという記事が流れてきた。対象となるのは罰金を納めてから3年以上5年未満の者で、全国に約55万人いるという。記事を読みなおし、ぼんやりと思う。
これが文字通りの事実ならば、私は恩赦対象だ。2014年12月3日、私は猥褻物公然陳列罪で逮捕され、3日間の勾留の後、略式裁判で有罪判決を受け、罰金30万円を払った。もうすぐ5年が経つが、まさか「恩赦」という形で、事件が蘇ってくるとは思わなかった。
いったい恩赦によって何が変わるのか。本当に該当しているのか。確かめたい思いで10月23日、法務省に電話をした。
大代表の受け付けに「恩赦の件で」と言ってみる。「お待ち下さい」とすぐ担当部署につないでくれたことからすると、この件の問い合わせは少なくないのだろう。
出た男性に「恩赦の対象かどうか確認したい」と伝えると、慣れた調子で「そういう個別のことは検察に連絡して下さい。東京なら、東京地検(東京地方検察庁)に連絡して下さい」と言われた。
地検の電話は混み合っていて、4度目でつながった。同じように自分が対象かを知りたいと言うと、電話口の女性が、てきぱきとした調子で、名前、住所、生年月日、電話番号、罪名、裁判の日、罰金を払った日を聞いてきた。
一通り答えた後に言われたのは、「あなたの言うことが事実ならば、恩赦の対象になっている可能性は高いですが、こちらで調査し、改めて電話か郵送でご連絡します」 とのことだった。
“あなたの言うことが事実ならば”という、もってまわった慎重な役人らしい言い回しに、胃がキュッとなる。取り調べを受けていた日々の記憶と重なったのだと思う。
私が逮捕されたのは5年前の12月3日だった。経緯はこうだ。私の会社でアルバイトをしていた女性が、その年の夏に逮捕された。
彼女のつくった女性器をモチーフとした作品を会社のショールームに飾ったことで、警察から私に出頭要請が何度かあった。警察を無視するとやっかいなことになると身をもって知るのだが、この時は彼女を担当していた女性の弁護士から「私たちは徹底的に闘うので、警察は無視して下さい」と言われ鵜呑みにしてしまった。
悔しさが蘇ってくる。逃亡の恐れも証拠隠滅する必要もないのに、巻き込まれるように逮捕された。その上「恩赦」だなんて一方的だし、「罪人」感を再度突きつけられるようだ。
思い返せば霞が関の東京地検、東京のど真ん中で行われている日常は、前時代的な「恩赦」という古くさい制度が生々しくリアルに響く世界だった。人権など鑑みられない「罪人」の“刑場”だった。
逮捕された日。膣に何か入っていないかと、下着姿でジャンプさせられたこと。ちくわの揚げ物だけがおかずの朝食。
「人」ではなく「ガラ」(身柄のこと)と呼ばれ「1本、2本」と数えられたこと。まだ有罪判決が出る前に、十分に罪人にさせられるのが日本の逮捕だ。
あそこにいた人たちにも、恩赦の対象になった人がいるだろう。今回の恩赦は復権なので、罪が消えるわけでもない。
対象は罰金刑によって国家資格を奪われた建築家や、医師などのエリートだ。私が留置場で出会った女性たちはほぼ外国人と貧困層で、そもそも復権するような権利すら持っていないような状況を生きている女たちだった。今日もそんな女たちが、この明るい日射しの差す東京地検の深い地下で、暗い目をしているのだろう。
次に天皇が代わる時は、このような“前時代的な”制度はなくなっているかもしれない。法務省には、児童ポルノを所持した者も含まれるような55万人を恩赦するなら、袴田巌(いわお)を恩赦しろ!という声も来ているというが、その通りだと私も思う。
何より勾留され、奪われた「人権」は取り戻せない。恩赦の証明書を前に、権力の横暴に改めて圧倒される。A4一枚のこの紙で、私に戻ってきた権利は何だろう。
帰り際、私が他の階で降りないことを確認するためか、エレベーターホールまで担当者が丁重に付き添い、互いに一礼で別れた。「恩赦」の紙の重さをはかりかねている。とりあえず今はクリアファイルに入れ「未整理」状態で机の上に放置している。
☆記事内容を一部引用しました。全文はソースでご覧下さい
https://dot.asahi.com/aera/2019112700031.html?page=1