日本側に事実で反撃された韓国人学者が「普遍的世界観がない」と逆ギレ 武士道が原因だと泣き喚く
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▲ウォン・イクソン圓光(ウォングァン)大学正役員教務
2カ月前、福岡のある大学の博士論文審査オブザーバーとして参加した。審査が終わって市内で参加者との夕食が続いた。対話が熟する中、軍艦島の件が上がってきた。その日、論文審査を受けた韓国留学生の指導教授が真顔になると日本の勤労者たちと同じように韓国人徴用者なども差別のない待遇をしたという。突然一座が凍った。論争が始まったが、戦いで終わるようで話題を代えた。
その瞬間感じたのは日本人たちが共感能力と普遍的世界観が不足しているという事だ。もちろん一般化はできない。しかし、良識ある学者ならば無慈悲な植民地強権統治下で苦しんだ民衆の苦痛をまず理解するのが常識だ。私は一瞬、その原因が武士道にあるのではないかと考えた。
当然ながら、1900年、新渡戸稲造が西洋に紹介するために書いた<武士道>には「鴨緑江において、あるいは朝鮮や満州において勝利したのは、私たちを導き、そして私たちの心を励ましてきた父祖の霊魂であった。(中略)見る目をもつ人たちにはそれらがはっきりと見えるのだ。もっとも進んだ思想をもつ日本人の表皮をはいでみよ。そこに人はサムライを見るだろう。」と言う。韓半島を侵略し多くの民を殺傷した日清戦争が武士道の勝利であることを意気揚揚と記述している。
日本の武士政権は古代王権が没落する12世紀頃から始まる。鎌倉、室町、江戸幕府は戦争を通じて実権を掌握した最高権力の武士が執権のために本部を置いた場をいう。幕府統治は明治革命が起きた19世紀後半まで続く。日本王は将軍という称号を付与して武士の権威を保証するための象徴的存在であった。
(中略:明治維新。武士道と仏教。葉隠)
日本近代は武士精神の赤裸々な矛盾を見せた時期だ。中国や韓国をさげすんで、西欧と似て東アジアとは違う自分だけのアイデンティティを維持しようと考えた二重意識は結局、無意味な戦争に民を追い詰めた。
崩壊後も主君の日本王は韓半島をはじめとするアジアの国民に直ちに謝罪なければならなかったのに、そうできなかった。他者に対する配慮や責任意識より現人身の王の崩壊がより大きく見えたからだ。
政治学者丸山真男が「無責任の体系」で書いた政治体制の空虚とは、恐らく日本を一つにまとめながらも開放的な人類普遍の価値が不在であることを意味するのだろう。和の精神というのも王や力の強い者を頂点にして一つになることであって、普遍的理念ではない。
崩壊後、敵だった米軍の日本駐留は敗者の運命だが、今は強者に屈服する代わりにその力に依存して威勢を張る典型的な武士気質を表わす。これまで韓国の下からの民主化は日本が一度も経験出来ない異なる次元の国民意識に達した。
他者を心より迎える条件は権力の公共性確保と自分の中の他者と公平に対するという自負心だ。日本が真の文明国に至る道は哲学者レヴィナスが言う「神様の顔をした他者」とまではいかなくとも、人類普遍の友愛と友好に立って隣人を眺めることだ。
私たちがまず、善良な心で隣人に接する努力を止めないことこそ、日本を悟らせる真の底力だ。
ソース:京郷新聞(韓国語) [理由と省察]「武士道「崩れた日本が文明国へ行く道
http://news.khan.co.kr/kh_news/khan_art_view.html?artid=201908302036005&fromLi