「遺伝子調査で日本に都合良い結果が出たが信頼できない」と韓国人学者が断定 王桜の原産地は済州島だ
[シム・ジフンが出会った人] 「王桜の原産地論争110年で終結?… 日本にだけいいことでしょ」
■チョン・ホンギュ/エミール・タケ植物研究所理事長
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=469&aid=0000414977
・30年間、カトリック環境運動家として活動してきたチョン・ホンギュ神父
・100年前、朝鮮植物分類先駆者であるエミール・タケ神父探査
・『エミールタケの贈り物』発刊…「生態を読めば未来見える」
・「韓国国立樹木園」王桜の木の遺伝子検査「信頼することできない」
https://imgnews.pstatic.net/image/469/2019/08/20/0000414977_001_20190821045025330.jpg
エミール・タケ植物研究所のチョン・ホンギュ理事長が慶尚北道(キョンサンプクト)清道邑(チョンドウプ)梅田面(メジョンミョン)で、農幕(※農事用に建てられた仮小屋)をリモデルして作った研究所の前に座り、新刊『エミール・タケの贈り物」を眺めている。(省略…)
--『エミール・タケの贈り物』はどんな本か。
「100年前のフランス宣教師エミール・タケが不毛の地韓国で、どのように植物分類学のファーストペンギン(first penguin・先駆者)になったのか探査した本だ。」
-タケ神父の存在はどうやって知ったか。
「大邱(テグ)南山洞(ナムサンドン)周辺住民から、『1922年から1952年まで大邱に暮らしていたタケ神父が王桜の木を植えたが、ある年の夏、台風が来て死に行くのを、私の祖父がマッコリをやって生かした』という話を聞いて知ることになった。2014年8月14日。その日が忘れられない。王桜の木がある所は、カトリック・大邱大教区庁があった場所(現、大建高等学校の場所)だが、そこで勤務もしてカトリック環境運動を30年したにもかかわらず、その事実を知らなかったということに省察した。 24歳で激動期の朝鮮に入ってきて、79歳で大邱(テグ)南山洞(ナムサンドン)に骨を埋めたが、一度も彼の人生が究明されたことがない。」
「省察」とは、世俗的には「自身の心を反省して探る」という意味だ。 カトリックでは「告解する前に自分が犯した罪を詳しく考えること」という意味で使われる。
-タケ神父の行跡をどうやって追っていったか。
「残っている資料がなくて、あったとしても消失した。それで2014年、フランス・パリ外国宣教会(Missions Etrangeres de Paris)に手紙を送った。その年の末、彼の写真一枚とプロフィールが到着した。どこで生まれていつ善終したのか分かった。それを持って、2015年から最初の宣教場所、馬山・釜山・晋州を探査した。1898年、馬山(マサン)に来て主にそこに滞在し、釜山・晋州と宣教活動をして回っていた。(省略…)
-現場には何があったのか。
「1930年代最初の宣教の本堂が建てられたが、その場に、王桜の木一本があった。」
・済州王桜の木など私たちの植物万点余り採集
・ドイツ・ベルリン大学ケーネ教授を通じて世界に知らせる
・学名に「タケティ」と命名された植物全部で125種
-王桜が特に好きか。
「タケ神父は我が国の自生桜の木を世界に初めて知らせた人だ。1908年4月14日、彼は漢拏山の標高600メートルの地点で済州島自生王桜の木を発見した。 その標本を1912年ドイツ・ベルリン大学のケーネ教授に送った。当時、バラの権威者だったケーネ教授はそれを学術誌に初めて載せている。 この事は日本のサクラと線を引くことになった契機となったもので、36年の日帝の恥辱の歴史と関連づけて考えると、より大きな意味を持っている。」
-解析ではないのか。
「違う。植物学的事件だ。ところが、日帝強占期時代なので、我が国土着の王桜の学名がプルヌスエドエンシスマツムラ(Prunus yedoensis Matsumura)と、日本語で命名された。 学名は一度決めたら、もう変えられない。(省略…)
-昨年9月、王桜の木の原産地論争が110年で終結した。 (つづく)
