日本に古来から伝わる遊びを「日帝強占期に韓国で生まれた」と韓国人学者が主張 匁の存在を知らないらしい
■ 教育部、教科書の伝統遊びの捜査に着手
「我が家になぜ来たの、なぜ来たの。花を探しに来たのだ、来たのだ・・・」
2列で向かい合って前進・後進を繰り返す子どもたちの遊びが、痛切な歴史である日帝強占期の慰安婦強制動員事件から由来しているという主張が提起された。「花を探しに来たのだ」という歌詞で花は少女を象徴して、少女を慰安婦に連行する姿を描いているというのである。
教育部(日本の文科省に相当)は最近この主張に関する専門家の諮問を求めた後、この歌が小学校の教科書に載せられても適切か否かの研究・調査に着手した。教育部の関係者は19日、「先月受理した請願によれば、“我が家になぜ来たの” 遊びをはじめ、大門遊び、尻尾つかみなどが慰安婦強制動員と関連して、ピソクチギ(碑石弾き)やサバンチギ(四方弾き=石蹴り)、セセセ(おちゃらかほい?)などの遊びが日本の伝統文化から始まったり、日帝強占期に強制的に流入された遊びという問題が提起された」とし、「調べた結果、事実関係を把握してみる必要があると判断した」と明らかにした。教育部は先月29日に専門家協議会を開催したが、この席で遊び文化の専門家は、「詳細な研究が追加で必要である」と意見をまとめたという。
教育部は、文化体育観光部から伝統遊び文化の専門家の推薦を受けて、意見を求める作業を進行中である。 現在の所、専門家ごとに見解が異なる。一人は、「日本の遊びである」という意見を、もう一人は、「日本の遊びと見るのは難しい」という意見を出した。教育部は当分の間、継続して学界の意見を聴取・調査する予定である。遊びの由来に対する詳細な調査は、文化体育観光部が引き受ける案も検討中である。
(動画)
https://tv.naver.com/v/8405763
請願を提起した燕岐(ヨンギ)郷土博物館のイム・ヨンス館長は、「日帝強占期に遊郭の抱主が扉を叩くと母親が、“我が家になぜ来たの” と尋ねるシーンが込められている」とし「“花探しに来たにだ” という一節で、花は少女を象徴する」と主張した。その後に続く歌詞、「何の花を探しに来たのか。誰がし(名前)の花を探しに来たのだ」は、少女を連行する過程を描いたというのである。イム館長は、「日本では “ハナイチモンメ” 、すなわち “1モン(貨幣単位)の女子” という意味だといわれ、人身売買を描いていて今はしていない遊び」と述べた。
一方、遊び研究家のイ・サンホ博士は、「文化は相互交流と独創的再創造を繰り返すため、由来を正確に知る事は難しい」とし、「我が家になぜ来たの遊びと同じように、二組みで前進と後退を繰り返す我々の伝統遊び、“チョルグセ遊び” もあった」と述べた。中央大学校人文科学研究所のチョン・ヒョンホ研究教授は、「西洋や中国から日本に流入した後、我が国に入ったかも知れないため、慎重に検討しなければならない」と述べた。
しかし、専門家は政府の公式的な調査・研究が必要だという点には認識を共にした。韓国民俗博物館のチャン・ジャンシク学芸研究官は、「日本の遊び文化と我々の伝統遊びを区分する政府次元の検証作業と、それによる適切な措置が必要である」と助言した。この博士も、「20年前にも同じような問題提起があったが、十分な結論は出なかった」とし、「研究用役を任せて公信力ある結果を出さなければならない」と強調した。
ソース:NAVER/国民日報(韓国語)
https://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=102&oid=005&aid=0001199864