文在寅の3.1演説を精査した教授が致命的な問題点を発見してしまう 語感の点でも美しくない
大統領は大統領らしく発言するものである。しかし、三一節の記念演説で5回も登場したとしてメディアが注目した「パルゲンイ(アカ=共産主義者)」という単語は、意味の面でも、語感の面でも、あるいは音韻学的にも(発音が美しくない)、大統領による公式な記念演説にはふさわしくない単語だった。隣国を刺激し、内部を分裂させ、消耗的な過去に追い込みかねないという点で賢明な単語選択とは言えない。しかし、それを一度ならず5回もさまざまな文章に織り交ぜて使ったのであるから、それはミスではなく、明らかに何らかの意思表明だ。メッセージの鬼才が集まった青瓦台がそれを知らなかったはずはない。
筆者がむしろ注目したのは、演説文であまり使われなかった表現、最も目立たなかった表現だ。もう一度目を閉じて聞いてみて、どんな聴衆を想定するのが最もしっくり来るかを考えた。その課題を念頭に三一節の記念演説を改めてじっくりと読んでみた。
最も見当たらない表現に「自由」がある。長い演説文に2カ所だけ登場するが、うち1カ所は非武装地帯をめぐる計画のくだりで、「それは国民の自由で安全な北朝鮮旅行につながるはずだ」という内容だった。そこでの自由は「自由往来」を意味するものであって、「自由体制」を指したものではなかった。当然「自由民主」という表現も見当たらなかった。
「大韓民国」という4文字も見当たらなかった。「大韓民国臨時政府」に言及して2回、「大韓民国大統領として平壌市民に約束した」というくだりで1回、そして最後に「我々が共に大韓民国を培ってきた」というくだりで1回の計4回だ。大韓民国を指すとみられる「わが社会」といった表現はあったが、歴代大統領がさまざまな演説で好んで使った「わが大韓民国」「わが国」といった表現は一度も登場しなかった。
文章においては主語が非常に重要だ。大韓民国という主語を使いたがらないものだから、誰のための演説文なのか時々戸惑いを感じた。しばしば登場する「われわれ」という単語が無差別的にさまざまな文章で主語に代わって使われているが、それが大韓民国を指すのか、南北を指すのか、はたまた韓半島(朝鮮半島)か、現政権なのか、脈絡によってまちまちだった感じだ。演説文は「100年前のきょう、われわれは一つでした」で始まった。「100年前には南と北はありませんでした」とも述べた。そんな背景に基づき、演説文を聞いてみると、「われわれは共に独立を熱望」したというくだりの「われわれ」は南北双方と取れる。一方、「わが政府の役割が重要になった」というくだりでは、「文在寅政権」という狭い意味に聞こえた。
記念演説のスタイルを見ただけで、まるで「新韓半島体制」で新たに選ばれたリーダーが行った演説のようだ。平安南道孟山郡、北間島の竜井(中国吉林省)、ロシア沿海州のウラジオストク、ハワイ、フィラデルフィアに縦横無尽に触れ、北京大教授の名前も引用した。広大だった過去のわれわれの活動舞台と未来ビジョンについて語るのはよいが、現在の大韓民国はいったいどこに存在するのか。
続く。
http://www.chosunonline.com/site/data/html_dir/2019/03/08/2019030880152.html
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版 2019/03/10 05:06