【素晴らしい経験】小学生の時にした「討論」の授業が目から鱗
小学校のとき「討論」の授業があった。
「タバコは良いものか?悪いものか?」について、賛成派のクラスメイトと反対派の私が1対1で、お互い主張し、反論できなくなったら負けのゲームをしましょう。ただし、賛成派は反対派として、反対派は賛成派として、自分の気持ちとは逆の主張をして下さいと。↓
— すぷりんと (@External_WM) 2019年1月21日
勝った方にはチョコが出ると聞いた私は、喜び勇んで「タバコはリラックスできる」とか「フィルターがあるから、そんなに害がない」とか主張し、相手も「リラックスした分だけ禁断症状もある」とか「副流煙はフィルター関係ない」とか反論した。
不思議な感覚だった。お互い相手の言うことに心の中で↓— すぷりんと (@External_WM) 2019年1月21日
は、その通りだ!と思いながら反論しなくてはならないので、まるで自分の主張の粗探しをしているようだった。議論はヒートアップしつつも、気持ちは乗らないので、心はいたって冷静なのだ。
結局は、口が達者で生意気小僧だった私が相手を言いくるめることに成功したが、あとに残ったのは↓
— すぷりんと (@External_WM) 2019年1月21日
タバコは良いものだ。という結論なので、「私は負けたのではないか?」と気がついた。
先生は最後に、「討論の討は探し求めるという意味です。つまり、討論相手とは戦っていながら、真実を一緒に探す仲間なのです。実際、裁判でもこの方式が取られています。今回はすぷりんと君が途中から相手を言い↓
— すぷりんと (@External_WM) 2019年1月21日
負かす事に、ご執心してしまったので真実とは呼べないところに着地してしまいました。実際、今いい気分ではないんじゃないですか?」と問いかけてきた。
全くその通りだ。お互いに合意へ行き着くために、最後まで冷静に論を戦わせなければいけなかったのだ。
そうか、議論とはそういうことなのか!
— すぷりんと (@External_WM) 2019年1月21日