日本語版Wikipediaに記載された事実を韓国マスコミは一切報じず 日韓の情報には格差がある
日本で取材して記事を書いていると韓国と日本が互いにあまり知らないという気がすることが多い。主観的認識の差はおいても両国が知っている事実自体に隔たりが大きい場合がたびたびある。
強制徴用被害者について新日鉄住金の賠償責任がある、という韓国大法院判決が下された次の日の10月31日、日本経済新聞のあるコラムは昔の写真一枚を紹介した。1973年浦項(ポハン)製鉄(現ポスコ)の高炉から溶けた鉄が初めて流れ出した日、現場で作業服姿にヘルメットをかぶって万歳を叫ぶ当時の日本富士製鉄と八幡製鉄の人々の姿だ。二つの会社は統合して新日本製鉄(現、新日鉄住金)になった。
貧しい韓国は1950年代から製鉄所を作ろうとしたがいつも失敗に終わった。1968年、世界銀行(IBRD)が「韓国の総合製鉄所事業は経済的妥当性がない」と報告書をだし、借款導入も挫折した。製鉄報国の責任を引き受けた朴泰俊(パク・テジュン)は結局、対日請求権資金を土台に建設を始めることにして日本鉄鋼社などあまねく訪問し、建設資金はもちろん図面設計から技術まで援助を引き出した。
数多くの日本人技術者が現場の人材や技術顧問の形で浦項製鉄建設に力をかした。彼らはこの経験談を編集して1997年「浦項製鉄の建設回顧録―韓国に対する技術協力の記録」というパンフレットも出した。
しかし、韓国政府はもちろんメディアもこの様な話はきちんと知らせなかった。彼らの功績は「韓国が独自技術で完成した製鉄所」という包装にさえぎられた。それが国民の対日感情に符合することだったし、日本は原罪があり、助けるのは当然という考えも作用するようだ。関与した日本人たちも空しく思っても韓国の民族感情を知っていたので、あまり意に介さなかったようだ。浦項製鉄高炉前で韓国と日本が感激を共有したことも今は過去になった。
今日、両国の記録文書に投影されたポスコは大きな隔たりを持つようになった。日本語版ウィキペディアで「ポスコ」を打てば「1973年、日韓基本条約により対日請求権資金などによる資本導入で朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が京釜(キョンブ)高速道路とともに設立。八幡製鉄と富士製鉄、日本鋼管の技術供与で急速に発展し、設立当時1人当り国民所得200ドル程度であった韓国の経済発展に大きく寄与した」と出てくる。
相対的に韓国メディアには概ねパク・チョンヒとパク・テジュンの決断で推進され、私たちの技術と汗で建設した誇らしい国民企業という側面が強調され、対日請求権資金で建設されたという概略的事実が付加される程度だ。
メディアが国民感情を意識して事実を全て伝えない事例は日本にもある。大法院判決後、日本メディアでは強制徴用被害者らのくやしい理由や家族らの苦痛はちゃんと紹介されていない。国際条約法理が強調され、1965年以来積み重ねた両国間の歴史の基礎がひっくり返されるという憂慮だけがあふれている。
記者は故パク・テジュン会長をインタビューしたことがある。彼は日本、特に新日本製鉄に対する感謝を強く強調した。援助を交わした当事者世代は消え、歴史記録は省略され、後世は状況を知らなくなる。こうしたことが韓日間にもう一つの不信要素を積むのではないか。
そんな中、韓国と日本は技術分野で競争するライバルになった。ライバルという単語は川(river)からきた。同じ川を挟んで生きる隣りという意味だ。向い側から汚い水を流せばこちらで米を洗うことができなくなるような葛藤がないことはない。反面、洪水や日照りなど困難を一緒に超えて行かなければならないことも少なくない。助けを受けたことも、被害を与えたこともお互いに認め、成熟した関係を積んでいかなければならない時だ。
ソ・ヨンア東京特派員
http://dimg.donga.com/a/180/120/95/2/wps/NEWS/IMAGE/2018/12/22/93410241.2.jpg
ソース:東亜日報(韓国語) [今日と明日/ソ・ヨンア]客観的に見るということ、知らせるということ
http://news.donga.com/Main/3/all/20181222/93410248/1