日本が「深刻な人口減少」を解決できない根本理由wwww
だがその中間点を過ぎたいまこそ、事業のあり方を見直し、まずはその原点に返って、私たちはいかにして人口減少を止められるのか、真剣に考えるきっかけを作らなければならない。
そのきっかけこそ、地方創生をはじめる際に各自治体で策定した「人口ビジョン」にある。
人口ビジョンは、政府が自治体に総合戦略とあわせて策定を求めたものだ。将来人口の見通しを示せ、それにあわせて戦略を立てていく。そういう建て付けであった。
「人口下げ止まり」をめぐる難題
人口ビジョンが果たすべき役割は次の二点にある。
まず第一に、減少していく人口が下げ止まる場所を見つけること。そしてその下げ止まりを何が何でも必ず実現することだ。
第二に、人口下げ止まりが実現するにしても、逆に言えばそこまでは必然的に人口は縮小するのだから、その最終形にあった行政の形(インフラ、サービスなど)にあわせて社会を縮小する準備をしていくこと。
しばしば自治体では後者の方に焦点をあてて人口減少を考えがちだが(そして前編で述べた基本目標4もこれにあたる)、実は前者が重要なのである。
前者が曖昧だと、どこにラインを引くべきかわからず、下手をすると後者の行政の縮小化が止まらなくなってしまう。
なので前者、人口下げ止まりの場所を明確化し、それに向けて事業を進めることが大切となる。これが本来あるべき人口ビジョンの役割だった。
とはいえ、この人口下げ止まりの場所の目標化が、現実には難しいのである。
各自治体はおそらくその目標化に最初につまずき、「いくらなんでもこんなに減ったら大変だから、このくらいにしとこうか」と、曖昧な形で目標値となる人口を決めてしまったように思う。
だが、なぜ難しいかを考えれば、第一歩はそうならざるをえなかったのでもあった。単独の自治体で出す数値では根拠のある議論はできないのである。
本当は、出そろった各地の人口ビジョンを、さらにあわせて広域圏(都市圏)で、さらには都道府県で集約し、調査し調整し、実態を深く分析し、そこから各地のビジョンを改訂していくことを通じて、「このあたりなら実現可能ではないか」というより現実性の高い計画を策定し、提示していくプロセスが必要だったのである。
それはどういうことか。
人口は、自然増減と社会増減で計算される。
この時、まず自然増減の問題に関しては、各自治体でともかく生まれてくる子どもの数を一人でも多く増やし、合計特殊出生率を2(男女2人あたりで2人の子ども数)に近づけようということになる。
が、実際はそれでは足りない。一般に出生力の高い村落部と、低い都市部、そしてさらに低い大都市部に分ければ、大都市部で出生率2に到達するのは多くの場合至難の業だからだ。
だとすれば、村落部では2どころか、2を上回る回復(3や4に近い数値)を遂げてもらわなくてはならない。
その目標値を考えるのには、単独の町や村だけでは意味がない。少なくとも広域市町村レベルでの突き合わせが不可欠なのである。
子育て世代の郊外住宅団地への移動
他方で人口は、社会増減にも影響される。
人口移動には構造として、末端の村から基幹集落へ、村から町へ、町から中小都市へ、中小都市から大都市へという、ある種の玉突きの流れがあり、そしてさらにその真ん中の本流に県庁所在都市から東京へという、全国レベルの集中があるのだった。
それゆえ、単独の自治体だけで人口を云々しても整合性がとれないのである。
こうしたなかで、少子化に関わってとくに問題となるのが、子育て世代の郊外住宅団地への移動であるのだ。
子育て世代がまとまって自分の市町村の郊外住宅に転入してくることは、その自治体にとっては人口増になる上に子どもの数が増えるのでありがたいように見える。
が、現実にはこうした形の世代の囲い込みが、家族や社会の形態を歪め、少子化につながっている可能性がある。
以下ソース
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/55580