中国の公式発表を『英国が資料で完全否定して』面子に泥を塗った模様。中国側は未だにシカトを続ける
さて、今週ご紹介するエンターテインメントは、韓国と共にあちこちの国々に慰安婦像を建てるべく、裏で反日工作を続けるあの国のお話でございます。今回も、こうした自国が犯した非人間的残虐行為や重大な戦争犯罪に対しては謝罪どころかそれ以前に事実すら認めないくせに、日本に対しては謝罪を要求する連中の欺瞞(ぎまん)を暴(あば)く一件について、詳しくご説明いたします。
■人民を戦車で踏み潰す…中国政府「死者は学生36人など民間218人」発表、実際は「万」
みなさんも恐らくご存じだと思います。1989(平成元)年6月4日、民主化を求め、首都・北京の天安門広場に集まった学生を中心とする一般市民のデモ隊に対し、中国人民解放軍が発砲したり、装甲車でひき殺すといった武力弾圧を強行し、多数の死傷者を出した「天安門の大虐殺」です。「え、天安門事件のことでっしゃろ。大虐殺?。そんな大袈裟(おおげさ)なもんちゃいまっせ」と思ったあなた。間違ってますよ~。
なぜか。中国政府は当時、発生から15日後の6月19日、死者数は学生36人を含む民間人218人と人民解放軍(PLA)の兵士10人、武装警察官13人の計241人。負傷者は7000人と発表していたのですが、先ごろ英国で公開された外交機密文書によると、実際は何と、少なくとも1万人の一般市民が殺害されていたことが判明したのです。政府の公式発表の約41・5倍ですね。
昨年の12月23日付で英BBC放送や英紙インディペンデント、フランス通信(AFP)など、欧米の主要メディアが一斉に報じているのですが、この数字、どこから出てきたかと言いますと、当時の駐中国英国大使、アラン・ドナルド卿(きょう)が、この大虐殺の発生翌日の1989年6月5日付で打電した英政府への極秘公電の中に出てきたのです。
■英国大使「中国の内閣から聞いた虐殺数は…」
この極秘公電、ロンドンの英国立公文書館が保管しているのですが、昨年の10月に機密指定が解除され、それを受けて香港のニュースサイト「HK01(香港01)」がこれを閲覧。最初に内容を報じたのでした。前述した各メディアの報道によると、アラン卿の情報源は「中国の国務院の“良き友人”から聞いた情報を伝えてきた」人物で、6月3日の夜から4日の夜の大虐殺についての状況が説明されています。
ちなみに中国の国務院とは、実質的に中国を支配する内閣で、議長を務めるのは首相です。
なので極めて信用できる内容なのは間違いありません。事実、アラン卿はこの情報源について、この大虐殺が起きる以前から信頼できる人物で「事実と憶測と噂を慎重に区別」する人物だったと説明しています。
では肝心の内容はどうだったのか?。アラン卿の打電内容について、前述の英紙インディペンデントなどはこう記しています。
<天安門広場の周辺に集結した大勢の人々に“残虐行為”を行ったのは、(中国北部の)山西省の人民解放軍の陸軍「第27集団軍」で、彼らの60%は読み書きができず、primitive(原始的な人々、幼稚な人々)と呼ばれていた>
<(当時の中国の最高実力者である)●(=登におおざと)小平(とう・しょうへい)率いる共産主義政府が“最も信頼でき、従順である”との理由で「第27集団軍」を選んだとみられる>
<「第27集団軍」の装甲兵員輸送車(APC)は群衆を銃撃した後、彼ら(の遺体の)上を走っていった。APCは時速64キロの速度で軍隊や一般市民を轢(ひ)いていった>
<(集結した)学生たちは、天安門広場から退去するまでの時間として、1時間の猶予を与えられたと考えていた。しかし5分後、APCが攻撃を開始した>
1989年6月、北京の天安門広場に近い長安街で戦車の前に立ちはだかる男性
http://www.sankei.com/images/news/180201/wst1802010004-p1.jpg
http://www.sankei.com/west/news/180201/wst1802010004-n1.html