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日本時代の歴史遺産を『韓国が勝手に魔改造する計画』が推進中。日本への罵詈雑言を並べて利用する

   


1:蚯蚓φ ★@\(^o^)/:2017/01/21(土) 01:29:10.61 ID:CAP_USER.net

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▲全州 - 群山桜並木[聯合ニュース資料写真]

全北(チョンブク)全州(チョンジュ)と群山(クンサン)をつなぐ26号国道は「収奪の道」に通じる。我が国初のアスファルト包装新作路であるこの道路は往復4車線で合計40キロだ。日本が湖南(ホナム)平野の米を収奪して日本に持っていくために日帝強制占領期間の1908年、全州から群山港近隣まで建設したものだ。

日帝は「繁栄路」と呼んだこの新作路を通じて貧しい国民に'繁栄'を与えると宣伝したが、帰ってきたのは酷い飢餓だった。先祖代々栽培した土地は新作路に強制編入されたり日帝を背に負った日本人大地主らに安値で売られねばならなかった。

血の涙を流して強制労働に動員されたのはもちろん、米を全部奪われたせいで満州から持ってきた粟(あわ)を米の代わりに食べねばならなかったつらい記憶が埋まっている道路だ。この道路の近隣あちこちには日帝強制占領期間の収奪の辛い歴史がそっくり残っている。

近代文化遺産としての価値を認められて今は登録文化財の三礼糧穀倉庫と萬頃江(マンギョンガン)廃鉄道などがそれだ。この糧穀倉庫と廃鉄道は日帝が湖南(ホナム)平野で収奪した米を日本に持っていく前、保管したり運んだ鉄道だ。特に三礼糧穀倉庫は今も原形に近く残っている。

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▲三礼糧穀倉庫[聯合ニュース資料写真)

内部もまた、当時、米の新鮮度と安全を維持するための施設がよく保存されている。1970年代まで管内の糧穀倉庫で活用されたが、その後、都心空洞化が急速に進み糧穀倉庫としての機能を失った。それで完州郡(ワンジュグン)はこの倉庫を近代文化遺産として保存し芸術空間に活用するために原形を傷つけずに文化体験場に直した。

また、1920年の建設当時、漢江(ハンガン)鉄橋の次に長い橋梁鉄橋として知られた萬頃江(マンギョンガン)鉄橋は機能が失なわれるとすぐに一時撤去が議論されたが、'辛い歴史'を忘れないように保存に決定された。

そのような歴史を大事に保管したこの道路の両側には桜がずっと並んで'桜の花100里道'としても名声をとどろかす様になった。春には見事な桜の花を背景に沸きかえる祭りが繰り広げられて全国から来た観光客で人だかりができた。

しかし、1976年、道路4車線拡張の時に植えた桜が三十才を越えて枯死し始め2000年前後に祭りは中断され足も急に途絶えた。時を合わせて全州-群山をつなぐ自動車専用道路が2002年、この道路の近隣に建設され車両まで移った。

この「繁栄路桜花見通り」が新しく生まれ変わるものと見られる。全北道が全州・群山・益山・金堤など4市とともに桜の花見通り100里の名声を取り戻すため'繁栄路桜花見通り復活'事業を推進することにしたからだ。

道はこの100里の道に死んだまま残っていた桜を抜き取ることにした。桜を新しく植えて周辺文化・歴史景観を新しく作る一方、マラソンやサイクルなど国際スポーツ大会誘致も検討する計画だ。全北道関係者は「繁栄路桜の花道区間が新しく造成されれば地域経済活性化の助けになるだけでなく、道民の安らかで安楽な休息空間が再誕生するだろう」と期待した。

ソース:聯合ニュース(韓国語) 日帝収奪の新作路、'桜の花100里道'で復活するか
http://www.yonhapnews.co.kr/local/2017/01/20/0812000000AKR20170120063200055.HTML

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